地形を旅した 蟻通神社 アリのようにたどる人々



つづき


熊野街道沿いに、蟻通神社(ありとおしじんじゃ)が点在した。


熊野街道は、中世に流行した熊野詣が広まる前からあった古代の道だ。

古代の道のうち、熊野に続く道が、後に熊野街道と言われた。



木を一本伐るのも大変な時代に、道を切り開くのは大変なことで、
古代は、歩きやすい場所が自然、道になった。

そうした道を通って、
人、物、文化は内陸へ入った。

またそうした道を通って、
人、物、文化は行き来した。



紀の国の古い道沿いに点在する蟻通神社は、
もっと他にあった(ある)かもしれない。


各蟻通神社の由来や、所在地など見ると、
丹生(金属)、稲作、国土開発とのかかわりが見える。

蟻通と関連された人々は、
知恵や技術のある人々と見られていたようだ。



彼らは、
これらの自然の道をたどって、紀伊半島を中心に散り、
土地と先住民に溶け込んだのだろうか。

それとも。
蟻通神社は古代の道沿いにあることから、
その人々の居住地は、道沿いだったのかもしれない。


その人々は、
土地に溶け込んで今に続いているのかもしれないし、

あるいは、滅亡したかもしれない。



その神とほろんだ人々をなぐさめるため、
土地の人々によって、
蟻通神が祀られたのかもしれないのだ。

ここに、昔、蟻通さんが住んでいた、と。


そのように祀られることもある。


そうした話も道を行き来する人々によって運ばれる。





蟻通は、どうも、道と密接に印象されてならない。

蟻通の字から思うのではない。
むしろ、
古い道をたどって、

というより、
天然の地形を道としてたどって入っていった人々、というところから、
蟻通の名が付いたのではないかと思うくらい。

古代の紀伊の道は、アリの巣の道のようだ。

だーれもそんなことは言ってなくて、超~~不安だけど。


蟻通とは、音からたどりにくい音。



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かつらぎ町の蟻通神社。
社務所へ声をかければ、本殿前の柵をあけていただけるみたい。

そうすると柵の中の天然石のこま犬の下をくぐれる。
このこま犬さんのおなかの下をくぐると、賢くなるらしい・・・。

がさっき雨が止んだところで、地面が濡れているし、
柵の外から見てみると、こま犬のおなかの下の空洞は子供サイズ。

そんなところではまっちゃって、動けなくて、雨に降られている楽しさを想像…。
むむー。
濡れていいお洋服を着てないしー。
と賢くなるこのチャンスをふいにし、
天空の台地、天野へ向かった。


つづく
by moriheiku | 2008-12-11 08:00 | 歴史と旅
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