中世芸能の発生 423 白砂 白沙 お白州

つづき


若水や、みつ、うぶすな(産砂)の習俗などに見られるように、

渚は、
海のどこかにあるこの世でないどこか、とこよ(常世)から、
いのちの寄せ来る場所、いのちを送る場所と考えられていた。

渚はこの世とこの世でないところとの境で、
強い力のある神聖な場所と考えられていたと思われる。


月夜に白い砂浜が弧を描いて光っている。

渚の中でも印象的な白い浜の白砂は、
渚にある神聖な力の象徴として、

例えば古墳の造営当初の姿であった表面に敷きつめられた白い小礫や、
神の庭、天皇の宮や、高位の人の庭に敷かれた白い砂や小礫、
神社の白砂、おなじみ銀閣寺の砂庭や、
竜安寺のような石庭の砂につながっていく。

奉行所のおしらす(お白州)も、この流れのものだろうと思う。


夜目にも輝く白い砂について、
神が寄り立つ目印だと説明されるのを聞くことがある。

しかしそれは、それだけではなくて、
神という比較的新しい概念で説明される視点のもとには、
かつての海があり、

海のどこかに、今生きているこの世とは別の、
命の湧くところ命のいくところがあるかもしれないと考えられていたことと、

その世界(常世)への接点としての渚があって、

白い沙や白い礫を敷くことは、
そこへ、常世からいのちの寄せ来る渚の持つ強い神聖を
満たそうとすることだったのではなかったかと思う。

強い神聖が満ちる結果、穢れや不浄ははらわれる。



で、白砂の神聖も時代とともに、
前の思想を捨てず似た様々な思想を重ねてまとっていくっていう、
類感的日本的な展開をする。

そして重ねた衣に目を奪われ、衣ばかり語り、
ずっと衣の下に流れ続けている太い本質を、
見ていないことが多いのではないだろうか。




堀の水にかこまれた古墳の姿は、
やはり海のかなたのどこか、
ないし水を隔てたこの世でない別の世界を表現した形ではなかったかと思う。
水の向こうの神聖な世界を表したのではないかと思う。



大陸の思想を取り入れていた高位の人々の古墳に、
大陸の思想の影響をよくみることができる。

そのため考古学者の辰巳和弘さんが述べられているように、
前方後円墳と呼ばれている古墳の形は
壺形の形象であるいうことは、
(壺の中が別世界に通じているという神仙思想)
説得力があるように感じられた。





古代の人にとっての神聖とは
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは


とこよ。常世。「ヨ」のこと
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ



若水
・2012-01-20 中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水

産砂
・2012-01-21 中世芸能の発生 422 渚の砂 うぶすな 産砂 産土



強い神聖が満ちる結果、穢れや不浄がはらわれる。
・2010-02-11  中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花



仏教思想を重ねて見た海。
・2011-08-15 中世芸能の発生 407 直越の道 難波の海 常世 日想観



私達は、自分達の生きる時代におけるある物の意味を通して、
いつもその深い底に、本来の性質に、
流れつづけている太い水流に、
常に触れているのではないだろうか。
そこにふれて、心身は動く。
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷
・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元





自然状態で松の生える環境。

この世と常世の境、渚、岬、尾根に生える松。松の神聖。笠松。

道教の神仙思想における松の思想と融合した松の神聖。

松と蓬莱思想。初期修験道における松。

禅と松。仏教と松。

それまでの松の思想の結実としての中世芸能の中の松。

祝福で満たし、穢れを払う。日本の芸能。祝福の芸能。





つづく







# by moriheiku | 2012-01-22 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 422 渚の砂 うぶすな 産砂 産土


つづき



辰巳和弘さんや野本寛一さん他の著書で読んだのだけど、

民俗学者谷川健一さんの調査によると、
若狭(福井県の敦賀半島)に、
出産のため建てられた産小屋(うぶごや)に海の砂を敷く習俗があった。

常宮という海村の明治生まれの川端亀次郎という古老の話では、
産小屋にまず海のきれいな砂を敷いてその上に藁(わら)、ムシロ、ゴザを敷く。
出産の時は、それらと砂を敷きかえた。

その産小屋(うぶごや)に敷く海の砂のことを「うぶすな」というそうだ。
(「産屋の砂」谷川健一 『他界へ翔る船』辰巳和弘)


私にまず連想されたのは神話の、うみさちひこやまさちひこのお話。
渚に作った産小屋で子神を産んだ話。

兄・海幸彦に借りた釣針を海で失くした弟・山幸彦(ホホデミノミコト)が
釣針を探すため海の海宮に行き、
海神(わたつみ 豊玉彦)の娘豊玉姫(トヨタマヒメノミコト)と結婚。

トヨタマヒメはホホデミの子を産むため海から渚へ来て、
渚に建てた産小屋で子ウガヤフキアエズノミコトを産む。

産小屋で茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちに子が生まれたので、
その子神の名はウガヤフキアエズノミコトと名づけられた。


神話と若狭に残っていた民俗はおんなじ。

ここでの「うぶすな」は、産屋(うぶや)の砂。渚の砂。


辰巳和弘さんの『他界へ翔る船』に紹介されていた古い時代の船葬の習俗と併せて
胸を打たれた。

縄文時代から見られる海蝕洞穴葬。船の棺。
内陸の古墳の中にもある船形をした棺。

埋葬された人の、棺の床に、
海岸から持ってきた美しい小礫や貝やサンゴが敷かれていたこと。


折口信夫のいう、
時を限って海の彼方の常世から岸に寄せる水が、川を遡り、山野の井泉の底にも通じて春の初めの若水となる。


渚は、命の寄せるところ。命を送るところ。

渚は常世と現世の境と考えられていたのだと思う。



現在うぶすなということばは生まれた土地の意味。
若狭の産屋の砂(うぶすな)と、かつての渚の印象から、
大昔うぶすなということばにあった命のうまれるところ、
命のイメージが生きたものに感じられた気がした。




このこの世でないどこか、昔の人が想像していた、
海のどこかにあるかもしれない
命の湧きつづけるところ命のいくところのイメージは、

やがて大陸の思想の影響から、
常世(とこよ)の、龍宮城のイメージにもなっていった。



数メートルの巨大な帯のような深海魚
リュウグウノツカイが若狭でも見られることがある。

見る機会の少ない魚であり、その姿形(※)から竜宮の使いの名がついた。
昔から早春にリュウグウノツカイがあらわれると豊漁の前兆とも言われ、
この頃では地震の前触れではないかとも言われてる。




若水
・2012-01-20 中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水



リュウグウノツカイの姿。
昔の人がヒラヒラとひるがえるもの、ヒロメク印象に霊力を感じていたこと。
・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ
・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣
・2010-02-19 中世芸能の発生 286 ヒレ ヒラ ヒレ有る骨柄



神話のうみさちひこ(海幸彦)、やまさちひこ(山幸彦)。
サチとは。「サ」+「チ」+「ヒ」の子。
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音




・2011-08-16 中世芸能の発生 408 『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』
・2011-08-16 中世芸能の発生 409 船の棺




・2012-01-22 中世芸能の発生 423 白砂 白沙 お白州





つづく








# by moriheiku | 2012-01-21 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 421 若水 渚に寄せる水


つづき


スイセンの、水のような香りには、
冬枯れの下の豊かな黒い土が見える気がする。

風に混じるロウバイの香に、冷えた指先の痛さも忘れて、
どこかにある枝を探す。

葉より先に咲く早春の花の香り。
今年の春の先駆けの香り。


この時期、海に春の光が乗る日を待っている。
毎年ある日、海に春が光る。春は海に乗ってやってくる。

海の見えない内陸も山の上も、自然は春の準備をすすめてるし、
芽の膨らみや草木や水や土や大気の中に春を見てるし知ってるけれど、

それでもある日、海に、それまでとは異なる光が輝くと、
春が海に乗ってやって来た、って毎年思う。

季節は、暑さ寒さの気温でなく、光だ。



海に乗って春が来るという感触は、洋の東西や時代を問わず言われてきた。

古い時代の日本では、
ある季節のある時期になると、海のむこうからイノチ
(というかチカラというか精気というか、なんかそういうもの)
が満ちたあたたかい水が寄せて来て、
それが地中の水をさかのぼって内陸のほうに湧くと考えられていた時代があった。

政教一致の時代には、
その水が寄せる渚(なぎさ)で、首長はその水を浴びた。

こうした威力のある何かを身体に伝染させて
イノチを活性化しようとする(結果魔や穢れが祓われる)原始的な
実感的習俗の一つであるこの水の風習は、

他の実感的習俗と同じく、
元の実感の上に、類似した「思想」を幾重にもまといながら、
やがて正月の春のはじめの水、若水の行事になった。

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わかみず ―みづ 2 【若水】

・元旦に汲み、年神への供え物や家族の食事を調えるのに用いる水。
 これを飲むと一年の邪気を払うとされ、福茶をたてて家族一同で飲んだりもする。初若水。
 [季]新年。《―や人の声する垣の闇/室生犀星》

・古くは、宮中で立春の早朝に、主水司(しゆすいし)が天皇に奉った水のこと

(大辞林 第二版)
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広く行われていた実感的習俗は、実感の表面に、
類似した意味を持つ思想の衣を幾重にもまとって、伝統行事となる。

上記の水の実感的習俗が、後に国家行事なったものの一例としては、
冬の間続けられ終わると奈良に春がくるといわれる東大寺の
正月行事(修二会)中のお水取りがある。

若狭から地中を伝って東大寺の閼伽井に届くという若水(香水)を汲む。





・2008-01-12 みつ 01 水 折口信夫
・2008-01-16 みつ 06 春の若水 お水取り





・2009-10-19 中世芸能の発生 224 ゆささ 湯
冬に木の根元だけ雪が溶けてることがある。しめった黒い土が出てる。
吸い上げる地下水があたたかいから、木のまわりだけ早く緑の草が出たりして。
・2010-04-08 中世芸能の発生 303 日本料理 湯屋 湯聖(ひじり)




意味の変遷
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷
・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱

・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗
・2011-10-07 中世芸能の発生 420 一本の棒
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫

・2010-06-13 中世芸能の発生 322 類感的思考について

たとえば浦島太郎。補陀落渡海。平家物語。
二位の尼が幼い安徳天皇を抱き、
「波の下にも都のさぶろふぞ(波の下にも都がございます)」と壇ノ浦で波に沈んだ
・2009-08-26 中世芸能の発生 190 他界 浄土
・2009-08-27 中世芸能の発生 191 三途の川
ある時代の海のかなたの常世の思想は、蓬莱の思想を重ねて、
仏教が入って後は、南方の補陀落浄土、菩薩浄土ということになって
・2011-08-15 中世芸能の発生 407 直越の道 難波の海 常世 日想観




はじめにあるもの。最後に残るもの。自然ていうか宇宙っていうか森羅万象のはたらき。
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
あまねくあるはたらきであるがゆえに、固有名詞になりえないもの。

・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと




土の下の水。伏流水。井戸に湧く水。
・2011-03-01 中世芸能の発生 383 たるみ 垂水 伏流水
・2011-04-06 見える水 見えない水
・2011-08-03 山の水
・2011-04-07 国土の保全 知恵と伝承
・2011-03-03 中世芸能の発生 385 石走(いはばし)る垂水(たるみ) 祝福
・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然




・2008-08-13 「ほ」を見る。
・2010-02-12 中世芸能の発生 293 ヨ




・2012-01-21 中世芸能の発生 422 渚の砂 うぶすな 産砂 産土
・2012-01-22 中世芸能の発生 423 白砂 白沙 お白州






つづく




# by moriheiku | 2012-01-20 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
星座


ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化したもの。
たとえば大地を通って顕在化した植物と同類のもののように私には感じられる。

うまく言えないけど、このように
ことばのはじまりは人の外(そと)にあるという感覚を持っている人たちはたぶん居る。

ことばにこうした感じを持っている人は、
偉い学者さんや著名な方も、そうでない人々も、
生きている時代も、住む場所もさまざまで、
声を聞くことはないけれども
いつも色々な場所にたくさん散らばっていて、私も無数にいるその一人だと思う。


無数のその人たちを見ている。

空の星座の光を見上げるように、
決して届かない星々を結ぶ見えない線をひく。






吉本隆明さん、豊田国夫さん、土橋寛さん
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの



・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)



ことばと植物 ことばと自然風土
・2007-06-28 言語のレッドゾーン
・2010-08-31 生物多様性 言語の多様性
・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物




・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言




・2009-03-01 草の息
・2007-09-19 ヨリシロ
・2010-02-03 命の全体性
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷



とか言って、
でも私は日記(ブログ)以外では、ぜ~んぜんことばの人じゃないのだった。








# by moriheiku | 2011-10-19 08:00 | 言葉と本のまわり | Trackback | Comments(0)
星を結ぶ線をひく


東北芸術工科大学文芸学科が、
<ことば>によって東日本大震災以降の世界を展望するシンポジウム
「はじまりのことば みつけだそう―3.11後の世界と言葉―」
というものを開催するそうだ。

東日本大震災以降の新しい世界を展望するために、もう一度〈ことば〉を原点として、世界の再構築を試みるためのシンポジウムだそう。


原発事故でバンドゥーラ演奏家のグジーさんのことを思い出し、
グジーさんの活動予定でこのシンポジウムを知った。

ウェブ上でシンポジウムのポスターを見た。
内容は私にはよくわからない(T T)。

ただポスターに印刷されていた〈はじまりのことば〉という詩(?)の中の、
“ことばが社会で生きるための道具になる前の時に戻ってから。”
というところが印象に残った。



幾度も書いてしまっているけど、私はことばのはじまりを次のように思っている。

文字のなかった頃、人はものや性質を言いあらわすのに、
その性質にふさわしい音(声の音・ことば)を口にした。

例えば丸く柔らかいものをあらわすのにギザギザという音は付けないし、
さらさらした感触ものにはさらさらという音をつける。

それはその感触にさらさらということばの音の感触がふさわしいからで、
ものの性質、ものの感触と、ことばの音の感触は一致している。

ことばは、さまざまなものと人の共感にある感触、印象の発露であり、
人の声を通したそのもの自体の表出。
ことばは音や色に近いものだったと思う。

そのことばの音は、ものそのものの本質に限りなく近い(近かった)。
そのものの音、そのものの色、そのもののことば。

私には、ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化するもの。
大地を通って顕在化した植物と同類のもの。
のように感じられる。

人はコミュニケーションのためにことばを発明したというのを聞くことがあるけど、
私はむしろ、そのものであることばの音が、
コミュニケーションのために用いられていった過程を思う。

ことば(日本語)の本来は、
ことばは「もの」と「人」の共感にある感触、印象の発露で、
そのものが人を通して顕在化したものであり、
はじめに伝達のために生まれたと思わない。





シンポジウムのポスターのことばから、私は私の中の、
はじめのことばにもどりましょう。ことばが道具になる前の、
という思いにもどる。

そこはことばの生まれることになったところであり、
ことばの生まれるよりずっと前から、人間よりも前からずっとあるところ。
私はいつもそこへ立ち返ろうと思う。



東北芸術工科大学の
「はじまりのことば みつけだそう―3.11後の世界と言葉―」の
ポスターで見たシンポジウムの内容は
私にはよくわからなくて、
私がポスターの詩から連想したものはその詩の意味とは異なると思う。

ただこのポスターの詩が、ことばを発見することからはじめようって、

“まったくのさいしょから、ゼロ地点から、はじめよう。
 はじめてことばを発してから、今までやってきたことを、もう一度、最初から。”

と書かれている数行には、震災で、
現実をことばのはじまりの時点から始めなければならないと思うほどの破壊があったことと、
そしてまたはじめようという決意が感じられた。





私には、
ことばは人に属すのでなく、人の声を通って顕在化したもの。
たとえば大地を通って顕在化している植物と同類のもののように感じられる。

うまく言えないけど、このように、
ことばのはじまりは人の外にあるという感覚を持っている人たちはたぶん居る。

ことばにこうした感じを持っている人は、
偉い学者さんや著名な方もそうでない人々も、
生きている時代も住む場所もさまざまで、普段そのことを意識することもなく
声を聞くことはないけれども
いつも色々な場所にたくさん散らばっていて、私も無数にいるその一人だと思う。


無数のその人たちを見ている。

空の星座の光を見上げるように、
決して届かない星々を結ぶ見えない線をひく。






・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音

・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視

・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)

吉本隆明さん、豊田国夫さん、土橋寛さん
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感


・2007-06-28 言語のレッドゾーン
・2010-08-31 生物多様性 言語の多様性

・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物

・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴
・2010-04-04 中世芸能の発生 301 歌の音

・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承

・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言

・2009-03-01 草の息
・2007-09-19 ヨリシロ
・2010-02-03 命の全体性
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷



とか言って、
でも私は日記(ブログ)以外では、ぜ~んぜんことばの人じゃないのだった。







# by moriheiku | 2011-10-18 08:00 | 言葉と本のまわり | Trackback | Comments(0)
森の奥



木々の奥の虫の音を聞く。

山の土から滲み出て、足元を流れる水音を聞く。









# by moriheiku | 2011-10-17 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
白鳥座




星がきれいになってきた。


真上を見上げながら帰る。




カシオペア。


白鳥。









# by moriheiku | 2011-10-16 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
警察24時


警察24時みたいな番組が大好きだと言う「む」に聞いた。

むは、テレビの改編時期に毎夜のようにいろんな局で放送されるのを、
みんな録画しているんだって。

私 「警察24時ね、どこが面白いの?」

似た番組がこれほどたくさん放送されるのは人気があるからだと思う。
私はその面白さがわかんないんだと思って
たまにチャンネルを合わせてみるけど、
やっぱりケンカや危険運転や緊張する場面が多く、
すぐチャンネルを変えてしまう。


む 「いましめにしてる」

私 「警察はああいうところに隠れているとか、
   この位置に立ったら防犯カメラに映らないとか、
   たくさん番組を見て、警察の手口を勉強して、
   つかまらないようにむは自分をいましめて・・・」

む 「ちがうよ!安全運転をするように自分をいましめてるの」

うひゃひゃひゃ。

むに聞いたけどよくわからなかった。
自分へのいましめで見てると言い張って。
どきどきするところがいいのかな。







# by moriheiku | 2011-10-09 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)


FMで、各地の高校生が、
周囲の大人たちが青春時代に好きだった曲と曲にまつわる思い出をリサーチして紹介する番組が流れてきた。
何度か聞いたことがある。

曲とエピソードをリサーチして番組のナビゲーターをする高校生は、毎回違う子。
いろんな個性。みんないい子。


今回の放送分をナビゲートしていたのは元気のよい女の子。
いつも笑ってる感じの声。
かかる曲も明るくて、
この子のまわりにはこういう大人たちがいて、この子は育ってるんだって思う。
聞いているこちらもにっこりしてしまう声。


放送中、リサーチはけっこう大変でした。ってこの子が言ったので、びっくり。

番組を担当する高校生たちは事前に、
ご両親、祖父母、学校や塾の先生、ご近所のかたなど身近な大人に
曲とエピソードをリサーチするんだけど、
先生に聞きづらかった、って。


私 「えーー。こんなに明朗なのに。どうして聞きづらいんだろう。私、全然平気。」

○○ちゃん 「○○(私のこと)はそういう人」

私 「○○ちゃんはちがうの?先生に聞きづらい?」

○○ちゃん 「うん。」

私 「どうして?私、先生受けよくないタイプだけど、
   私だったら職員室の先生全員に聞いちゃいそう。
   もう曲とエピソードが十分集まってても、
   この番組をだしにしてもっと聞きに行っちゃうくらい。
   だって青春時代の思い出とか好きだった人のこととかお話されてすっごく楽しそう。」

○○ちゃん 「うん。」

私 「先生だから聞きづらい?職員室だから?」

○○ちゃん 「先生だから。」

私 「へー。」


新鮮・・・。なんで聞きづらいんだろう。

○○ちゃんは私よりいい人。
先生方も○○ちゃんのこと良い子だと思ってたと思うよ。

○○ちゃん 「○○(私のこと)は人見知りしないからー。」
って。まあ初対面の人に人見知りはしないけど。
だって知らない方だから人見知りする理由ない。

人見知りしないけど、でもそのあとはあるよ。
この人はこういう人ってわかってから。

あとね、ものすごく厚かましい空気を出してる人に、
うわってなって顔をそむけた。初対面。一人だけ。



カーラジオで流れてたまに耳にするこの放送。
毎回違う高校生がナビゲートしてる。

鍛えられたプロではないので、話す声の調子や内容は毎回すごく違う。

高校生が、曲とエピソードを紹介して、
それを大人に聞いた時の感想なんかを言っているのを聞くと、

いろんな子がいるし、いろんな環境がある、ってつくづく思う。


私にも個性があるのかな。自分ではぜんぜんわかんない。
あんまり良いものでないように思うし、考えない。



出てくる子、みんないい子。びっくりしてしまう。
この番組をそんなにたくさん聞いたわけではなく、
高校生たちそれそれに良いところがいっぱいあるけど。

今まで聞いた中で私は、
谷桃子さんのところでバレエを習っている女の子が一番好きかな。
谷桃子さんの選ばれた一曲と谷さんの思い出の紹介にもわあと思ったけれど、
リサーチした曲とエピソードをひとつひとつ紹介するこの女の子に、
純粋な同情心があって、考え深く、心がきれいだったから。
どうしたらこんな心が育つのだろう。
声もきれいだった。


今回も良い子だった。
高校生たち。毎日いろんなことを感じて、もうすぐ大人になるんだ。








# by moriheiku | 2011-10-08 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(2)
中世芸能の発生 420 一本の棒


つづき


私の済んでいるところの近くの、
山の岩面を少し刳ったところにある役行者の像の持っている杖は、錫杖(鈴杖)。

役の行者の持つ杖の原型は、
古来の神聖であり、渡来の思想の杖であり、
ほか杖や柱など一本の棒に象徴されてきた様々の神聖の印で、

その時代あるいは後年、それが錫杖という形(理解)に
落ち着いたものではないかと思う。


時代の変遷で杖の神聖が重視されなくなれば、
役行者像も杖を持たない姿で描かれた。

私としては、杖を持たない役行者像は、
時代は変わったのだと、
原始的な神聖の体感の具体的展開のひとつとしての杖が
忘れられ失われたことを少し残念にも思う。


原始的な神聖の体感という陳腐な表現になって、
うまく説明することばは私にはないけれど、
強いて言えば、
これまでもありこれからもある、横溢するはじまりの感触、
というようなもの。ただそれがある。




様々な言葉や形で解釈されてきたことに通底するものにふれることなく、
表面にまとった皮の部分で価値を計り、
そればかり云々することの意味は何かと思う。


表面にまとっているものは、
それ自体が歴史であり人々の願いの形で、
形に願いを重ねてきた長い時代の人々の希望や喜び悲しみを、
いとおしくうつくしく思う。それでも、


本当は形はいらないのだ。杖さえも。


故実もいらない。


一本の杖のもとになったもの、一本の木の棒は、
神聖の実感の表現として最小のもの。

あますところのないものに見える。

ただ一本の棒にイノチを見た人たちの、
澄みきったありようを思う。






・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗
漂流の、歩き巫女たちの椿の杖。物詣の装束の杖。お遍路の杖。お能の弱法師の、盲目の杖。仏塔の心柱。神宮の心柱(刹柱 真柱)。天の沼矛。ひもろぎ。金剛杖。錫杖。


歩き巫女たちの杖。
・2008-10-30 地形を旅した 椿
・2009-07-26 中世芸能の発生 178 放浪する女性宗教者

物詣の女性の装束の杖。
お能の弱法師の、盲目の杖。
こういう人たちの杖は実用でもあっただろうけど、
それは古い神聖の印。
お能の中世には、そういう人に付けられた刻印ともなった。




・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱

・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫



はじめにあるもの。最後に残るもの。
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
あまねくあるはたらきであるがゆえに、固有名詞になりえないもの。


・2009-11-08 中世芸能の発生 239 さぶるこころさまねし


・2010-07-01 ぜんぜん論理的じゃないこと


・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元





・2010-08-22 中世芸能の発生 344 倭文(しつ) つまらないもの
・2009-04-20 中世芸能の発生 114 中世人にとっての故実
・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷




・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠
・2011-09-26 中世芸能の発生 415 太刀 剣
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗




うーーん。いかにもつめが甘すぎるぞ。杖の神聖について。てへっ。
けどもう時間がかかるのでそのうちまとめるとして、えっと、

あと鰭の形象や、鹿の民俗、海と松を打ったら、
あ、人麻呂の船の歌のことも打ちたいとか思ってたんだー。

あ、死者の頭につける白い△のものや、
△の組み合わせの家紋の蛇紋やお能の衣装なんかの鱗紋のことも
まだだったー。

(打ちたいことって頭の中では一瞬で、
 口で言えば3分で済むのに、
 どうして文字にするとややこしいの?)、

そしたらようやく聖の鹿角杖のことが打てる。


わーい♪ 


私はずっと聖の鹿の角の杖のことを打ちたかったの。がんばれ私。




つづく






# by moriheiku | 2011-10-07 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 419 役行者の杖


つづき


修験道の祖の役小角(役行者)は奈良時代の人。葛城の鴨族の出身。

葛城氏は、奈良大阪和歌山の境の金剛山あたりを拠点とした豪族で、
渡来の文化に親しかった。

葛城国は紀伊半島紀ノ川やなにわから上陸した文化が内陸へ通う場所。


役行者は葛城国の高位の生まれなので、
奈良時代よりも前の古墳時代の大規模古墳に反映されているような
大陸の古代神話や神仙思想、道教など大陸の文化や思想に接する立場だったと思われる。

ヤマト王権(朝廷)の典薬頭となったのも、
土地の草木から採れる医薬の他に、渡来の医薬の知識や技を持っていたからだし。


『万葉集』歌にも、古墳を築いた階層に近い人々は、
読み人知らずや防人の詠んだ人々の歌とは異なる、
渡来の知識を織り込んだ歌がみられる。

現在はより仏教に近い修験道だけれども、
役行者は渡来の文化に接する機会の多かった葛城の高位の人だから、

役行者の時代、修験道が修験道として形作られた当初には、
やはりもっと大陸の思想の色が濃かったのではないだろうか。
役行者の像が手に持つ杖の意味も。



・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗

・2011-10-07 中世芸能の発生 420 一本の棒



つづく









# by moriheiku | 2011-10-06 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
見透(とお)す目


かつて杖が聖性の印だったこと。

私はあたりまえのその意味へたどりつき腑に落ちるまで、何年もかかる。


幾重ものベールを見透(とお)し、
核心をピンポイントに捉える目が欲しい。


哲学者の方が、
こうした迷いや逡巡こそがその人自身、その人の人生だということを
書いていらしたものを読んだ。

はたから見たら答えはすでに明白でむだにも見える逡巡や、こういう迷いは、
本人にとっては答えに至るまでの時間が意味を持つことだし、
周りもそれを奪ってはいけないんだってやっぱりそう思うけど。


とにかく私は、あたりまえのことにやっとたどりつく時、

そしてたどりついたところが、もともと感じていたものだった時、

いろんなことを見透(とお)す目がわたしにもあれば、
そこにいたるまでの遠回りの何年間を、他のことに広げられていたのではないかと、
悲しく思う。




あ、ちがうな。

毎日タラ~ンと過ごしているからいっそう時間かかるわけで、

努力できないの、ってとこがいけないんだった~~。





# by moriheiku | 2011-10-05 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 418 意味の変遷

つづき

長い時代いつもありつづけた物は、時代によってそれの持つ意味が変わる。

ある時代におけるその物の意味が、
その時代を生きる人にとっての真実だと思う。

けど、その物のありようを見るとき、
その物のもともとの性質が、
時代時代のその物の意味を生んでいるように見える。


私達は、自分達の生きる時代におけるある物の意味を通して、
いつもその深い底に、本来の性質に、
流れつづけている太い水流に、
常に触れているのではないだろうか。

そこにふれて、心身は動く。





・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元

・2008-12-16 本来空



・2008-09-26 水波之伝


・2008-06-24 比叡山 千日回峰行



文字よりも前から使われていことばは、
そのものをあらわすのにふさわしい音(ことば)をつけた。
だから古いことばの音の響きに、私たちは、
そのものの性質を感じていると思う。
サチ ことばの音からそのものを感じている
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視



民俗芸能 時代時代の花
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは




・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠
・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗
・檜の民俗
・仏塔
・懸崖造

あとでリンク




つづく







# by moriheiku | 2011-10-04 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 417 杖の民俗


つづき


『他界へ翔る船』の中で、著者は、
出土する石見型の「かたち」が
儀仗の場に臨む貴人が杖とした、装飾をふんだんに施した装具をかぶせた矛や槍に始原するとの認識に至った、
と書かれていた。

神経線維が結びつくように、いくつかのものが結ばれていく気がした。



石見型の出土品のかたちが何を表しているかは
諸説あるけれど、定見はまだないそうだ。

『他界へ翔る船』で著者の辰巳和弘さんは、ご自身が、
石見型の形象が、
儀仗の場に臨む貴人が杖とした
装飾をふんだんに施した装具をかぶせた矛や槍に始原する、
という認識に至った理由として、

『日本書紀』おける聖標としての竿(柱)の存在の可能性や、
『(播磨 常陸 出雲)風土記』にある神や貴人の聖標としての杖、
極楽寺ヒビキ遺跡の大柱跡等を挙げられている。

詳しくは『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』辰巳和弘 (著)
を読めばいいので書かないけど、例えば

『日本書紀』中、神功皇后と新羅の
「皇后の所杖(つ)ける矛(みほこ)以(も)て、新羅の王(こしき)の門(かど)に樹(た)て、後葉(のちのよ)の印(しるし)としたまふ。故(かれ)、其(そ)の矛、今猶(なほ)新羅の王の門に樹てり」
のくだりや、

『釈日本紀』における『播磨国風土記』逸文、
「ひひら木(ぎ)の八尋鉾(やひろぼこ)根(ね)底(そこ)附(つ)かぬ国」
の表現。

『常陸国風土記』の、顕現した香島(鹿島 鹿嶋)の天(あめ)の大神の伝承、
「白細(しろたへ)の大御服(おほみぞ)服(き)まして、白矛(しらほこ)の御桙(みつゑ)取りまし、識(さと)し賜(たま)ふ命(みこと)」。

『出雲国風土記』、国引き神話。国引きましし八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)が
「意宇(おう)の社(もり)に御杖(みつゑ)衝(つ)き立てて、『おゑ』と詔(の)りたまひき」
杖を神の鎮座地と表示する記述。

それらもふまえて、
奈良県御所市、豪族葛城氏の祭祀空間であると考えられる極楽寺ヒビキ遺跡の、
東西一列に並ぶ三本の大柱が、王宮前の大聖標であると考えられることなどから、

著者は、石見型は神や貴人の聖標としての杖のかたちという認識に至られた。



私が思い出す杖は、

漂流の、歩き巫女たちの椿の杖。
・2008-10-30 地形を旅した 椿


天皇の祖神天照大神を身につけた倭姫命は、御杖代となって、杖を持ち、
各地を遍歴した後、大神は伊勢へ鎮座した。
・2009-07-26 中世芸能の発生 178 放浪する女性宗教者


役行者の像が手に持っている杖。


もう忘れられて、近年の発掘まで本当と思われなかった
かつての出雲の大柱。宇豆(うづ)柱。


神宮の中心の心柱(刹柱 真柱)。


国生み神話で、
天からイザナギとイザナミが、
こおろこおろと地をかき混ぜた天の沼矛。杖。柱。
・2009-05-29 中世芸能の発生 137 中世神話


仏塔の心柱。
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱


聖武天皇と大仏の柱。


ひとつ松。
昔の人たちが樹に見ていた力。
それにあずかろうとした人々の心。
・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは


ひもろぎ。


同行二人。
弘法大師である杖とともに歩く、お遍路さんの杖。

金剛杖。


山伏の杖。


錫杖。


街ですれ違う托鉢僧の笠と錫杖。



そして聖(ひじり)の杖。
絵巻に描かれ、今様歌謡に歌われ、空也上人の像も手に持っている
先端に鹿の角を付けた聖の杖。





物詣の女性の装束。杖。
・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠


お能の弱法師の、盲目の杖。
・2008-06-10 弱法師


こういう人たちの杖は実用でもあっただろうけど、
それは古い神聖の印。

お能の中世には、そういう人に付けられた刻印ともなった。




杖の聖性は日本に限らず世界中に見られる。
ギリシャの神、インドの神、etc.様々な神々が杖を手に持って描かれてきた。


上に挙げた極楽寺ヒビキ遺跡の東西一列に並ぶ三本の大柱は、
中央の柱は丸柱で、それを挟むように立つ両側の柱は板状の柱だったそうだ。

私はこれまで、
原始的な木に横溢する生命力への信仰や祝福の増殖感から、
もっぱら古代における樹木や柱、杖の神聖を思っていた。

しかし古墳時代の古墳にすでに神仙思想のモチーフが見られることには、
大多数の庶民でなく、
ある程度の規模の古墳を造営するクラスの人々が
渡来の思想に接し憧れ取り入れていたことと、
こうした首長クラスの人々に古来の文化と渡来の文化の混在があることがわかる。

そしてすでにそこには、後の時代の神仏習合の運きと同じく、
前のものを捨て去らず、そこにそれに似た新しいものをひたすら重ねていくという
日本的というか何というか、
この列島に暮した人々の文化に特徴的な思考がすでに行われていたのがみえる。
杖や柱の意味も、様々な意味を重ねてまとっていった。




私は、
極楽寺ヒビキ遺跡の大柱列の中央の丸柱は、
伊勢など寺社の心柱や、おん柱のルーツと同じ発想のもので、
整えない丸木(自然)に価値を見たものではないかと想像する。
神の概念より前の、古来の文化だ。
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫
・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取


そして丸柱の両側の、板状の柱は、
渡来の考え方の柱の力がこの土地でも発揮されることが期待されたもので、
その自体の威力の発揮と同時に、
それらパワフルな働きの感染によって、
古来の神聖(丸柱に象徴されるもの)が
さらに活発化することが期待されたものではなかったかと思う。

並べて立てるというのはそういうことではないかと思う。

あるものにある力を増幅するために、
その力を増す(ふやす はやす)ためのものを近くに配置する類感的行為は、
今も文化や日常のあちこちにある。

・2009-12-07 中世芸能の発生 259 類感 感応
・2010-05-14 中世芸能の発生 309 はやし はやす
・2010-06-14 中世芸能の発生 323 鎮守の積極的役割



石見型のモデルになったものは、多くの意見のように、
サチ(獲物)を獲得し魔を払うする力に満ちた貴人の矛や槍、
それに近いものなのかな。

そう思うのは、古墳から出土した船形埴輪に起立させた石見型は、
同じく船形埴輪に立たせてあった太刀型とともに、
被葬者が死後に行く世界への旅を安全にするために力が発揮されることを
期待されたものだっただろうと思うから。



そして私は、
柱や杖にある(あった)神聖は、
古来の原始的ともいえる横溢する樹木の生命力の神聖や、
時には、かつてサチ(獲物の生命力)を獲得したような強い力の道具のイメージや、

みあれ・ヨリシロといった神の概念、渡来の柱・杖の概念、
かつて王門に立ち並べた聖標の面影や、仏教教思想などが重ねられていったものだと思う。

時々で、最も強く出ている表面の意味は変わるけれども、
底は共通している。



それでたとえば加茂の祭りの、みあれの榊のような、
つややかな木、
ある時代には木綿垂(ゆふしで 土地の樹木の繊維)を垂らした神聖なたまふりの木は、
五色の布をたらすことになった。
・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ



・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取






響き合って効果が増幅すようにする、素朴な身体感にもとづく類感的行為と、
その宗教的展開の一例。
・2010-06-17 中世芸能の発生 326 神仏が共存するということ
・2010-06-14 中世芸能の発生 323 鎮守の積極的役割
・2010-06-15 中世芸能の発生 324 後戸 後堂 しんとくまる






・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠
・2011-09-26 中世芸能の発生 415 太刀 剣




つづく






# by moriheiku | 2011-10-03 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 416 石見型

つづき


宝塚一号墳で出土した船形埴輪には、
船首から船尾を結ぶ線上に、合計5つの土製品が設置されていたそうだ。

『他界へ翔る船』によると、
船底にはそれらを固定するための穴が5つ設けられており、

5つの穴のうち、船首と船尾に近い2つには、
先に打った太刀と衣笠の形の、柱状の土製品が立てられていた。

残り3つの穴のうち、真ん中の穴を除いた2つには、
「石見(いわみ)型埴輪」と呼ばれる土製品が1本づつ立てられていたようだ。


石見(いわみ)型埴輪とは、中期古墳の段階には立てられるようになった形象埴輪で、

柱状の先端が「V」字形、その下に「工」字形の形象が特徴。

この形象が何の形を表していたかは現在不明なため、
この形象のものはそれが出土した代表的な場所の名で呼ばれている。
(奈良県磯城郡三宅町 石見遺跡)。


各地で出土した石見型のものの中には、木や石でできたものもある。

出土した石見型の時期の早いものは、福岡県糸島市の釜塚古墳の出土品で、
2メートル越えの板から削り出された石見型のもの。

これは全体の長さのうち2/3が柱(柄?)で、
その先、残り1/3部分に「V」字形その下に「工」字形の形をしている。


時代が下ると石見型製品はデフォルメが進み、
柱状の先の「V」字形部分とその下の「工」字形の部分が大きくなり、
柱部分は退化して短くなる。

例えば五世紀後半の奈良県桜井市の木立古墳から出土した石見型では、
柱の部分が全体の1/3ほどになっているそうだ。



石見型の「V」字形の外縁は、まっすぐの直線ではなく、途中に鋭い突起がある。
この特徴が石見型のものに共通して見られることから、
その突起の形状がモデルになったものの特徴だったと考えられる。


石見型の形象のモデルになったものとしては盾、靱など諸説あるけれど、
何を表したものか、見解はまだ定まっていない。

『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』辰巳和弘 (著)で、
石見型のモデルについて、著者は、
石見型の「かたち」が儀仗の場に臨む貴人が杖とした、装飾をふんだんに施した装具をかぶせた矛や槍に始原するとの認識に至った、
と書かれていた。

私はそこをじっと見ていた。



・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠
・2011-09-26 中世芸能の発生 415 太刀 剣



つづく





# by moriheiku | 2011-10-02 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
文化と優劣


隣国の人が文化の優劣をおっしゃるけれど。
文化って優劣をつけられるものなのかなあ、と思う。


経済力で国の優劣を考えることも違和感がある。

現在国が貧しい状態でも、
その状態の上にある親愛や親子の情愛や信頼は、
豊かな国の情愛や信頼と優劣などないし。


水がなく砂漠がつづく国も、
そういう国だからこその文化が育まれていて、
その国の人にとってその土地こそが母体。

どういう個性の母だとしても、
子供はよその母親でなく自分の母親に、
愛にしろ憎しみにしろなつかしい思いを持っていることが多いのでは。


ヨーロッパの国々を見ると、ヨーロッパの人々は、
各国の文化が混じり合いながら、それぞれの文化があることに気付いてるようにみえる。
(あたりまえといえばあたりまえだけど・・;)

ヨーロッパの国々だって、国や民族の優位を言った歴史がそりゃあるし、
自分の国が一番!と言うのも効くけれど、
それでも、このあたりまえの土地の自然風土や人の文化の多様さと個性を
認める認識はなんとなくあるように思う。
だってそれぞれの個性は、その国で育まれて花開いているものだから。
優劣の基準がわからない。
一人ひとりにとってどの国の個性を好む好まないはあると思うけど。


だから隣国の方々が、○○は自分の国の方が先だとかそういうことで、
自国の文化の方が優れていると主張されることがよくわからない。
土地のありようは、人中心でもないと思うし。

そうした判断をされる方は、たとえばヨーロッパの国々を、
どこの国のほうがすぐれているとどんな優劣で判断されているのだろうか。

その国の人間にとって華やかな時期も苦難の時期も、
人にとって豊かな自然も厳しい自然も、
その土地の文化を作ってきたもので、
それがあってこそそこの人々の性質は育まれてきた大事な要素に思う。
それを優劣でくくるのは違和感がある。



どの国の人も、
自分を育んだ国というか自分が育まれた所への愛情は
潜在的に母を慕うように持つのだろうと思う。

そのなつかしさはたとえば亡命した人やついに帰国できなかった人の苦しみの
一因にもなっただろう。


自分が育まれた所へのなつかしさは
潜在的に母を慕うように刻まれているだろうと思うから、
日本も、他の国を日本化しようとしてはいけない。

そして同様に、他国の個性を自国のもののように言うことも、
なんか違うなあと思う。


隣国の方の書き込みに、日本や日本人を根絶したいと
書かれたものを見てしまったりして、
根絶、って。

よその誰かを根絶って。と、その憎しみの深いこと。




たまに江戸時代や明治時代に世界一周やキリスト教の布教で
アジアや日本を訪れた西洋人たちの記述を読むことがある。

それらは西洋人の立場から見たものだけれど、
訪れた国々に対しては等距離で比較的中立の視点で書かれたものが多いと思われるが、
もうその時代には、そのずっと前から、大陸の方々は、
日本のことは殺してやりたいと思っていたほど大嫌いだそうなので、
もうこれからもこういう憎しみはかわらないかもしれない。

根絶したい、と願うほど憎む心を持ち続けるのは苦しいと思う。
その点で学校の教育で憎む心を植えることはどうかなと思うことがある。


卒業してあるメーカーに勤めていた時、私のいた部署に
世界的企業になった韓国の○○電子の方々が時々来社されていた。

上司から、○○電子の方々は
英語の他に日本語もできないと部長になれないということなど聞いており、
○○電子からいらっしゃる方々の頭の良さを本当に感心していた。


その部署にたびたびいらした方々の中で比較的若いおひとりはフレンドリーで
時々私もお話などしたけれども、
その方と同年輩のもうおひとりは、いつも非常に冷えた眼で、社内を見ていた。

今はわかる。その方は、日本や日本人が大嫌いで憎んでいたんだと。
若かったから、その感情を表に出されていたのだって。

私はその頃、今よりもっと、何も知らなかった。



・2009-06-29 中世芸能の発生 158 母語 母国語 民族語







# by moriheiku | 2011-10-01 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 415 太刀 剣


つづき


『他界へ翔る船』に書かれた船形埴輪の考察を興味深く読んだ。

古墳時代まっただ中の時代の古墳の出土品だけど、
書かれていた舟形埴輪の考察はその埴輪の時代に関するものだけど、

船形埴輪の形象のむこうに、
時代をこえて流れつづける思想の糸のつらなりが見えるようだった。


『他界へ翔る船』の船形埴輪の考察をふりかえりつつ、
何年か前に打とうとして忘れてた鹿の民俗、
鹿の聖性とその変遷をここに書くつもり。

なんで鹿よ。どうしても鹿!



『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』辰巳和弘 (著)によると、
2000年に、三重県松阪市の五世紀前葉に築かれた伊勢地方最大の壺型墳、
宝塚一号墳から、船形埴輪が出土があった。

全長140.5センチ、台部分を含めた高さは95センチという
この船形埴輪の突出した大きさに加えて著者の辰巳さんを驚かせたのは、
船上に立てて飾られた土製の器材と装飾的な造形が残っていたことだった。



飛行機や電車などない大昔、
人の足で行くことのできない遠くへ行けるものとして想像されたのは
鳥や馬、それから船。

今も、どこへ行くのか知らないけど
「私もつれてってーー」と遠い空を飛ぶ飛行機に思うわけで、

昔の人が高く飛んで行く鳥にそう思っていたのは、
万葉集の歌にもいくつか残っている。


古墳における鳥、馬、船の形象は、
死者の魂を遠くへみちびき運ぶものとして描かれ形作られたと考えられる。

どこか遠く、海のどこかの命の場所(とこよ常世)へ死者を運ぶ乗り物として、
船を棺とした船葬が古くから行われていた。

海辺だけでなく内陸の古墳にも船の棺、船形の石室、舟形の埴輪が出土するのは、
古い時代に魂の行くここでないどこかとして
海のかなたが意識されていたと思われる。
・2011-08-16 中世芸能の発生 408 『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』
・2011-08-16 中世芸能の発生 409 船の棺



『他界へ翔る船』によると、
宝塚一号墳の埴輪の船は、船首と船尾が大きくせりあがる形をしている。

せりあがった船首あるいは船尾となる一方には、
太刀形の土製品が立っている。

また太刀とは逆の一方には、
円柱状の柄の上に、衣笠(きぬがさ)が取り付けられたものが立っている。

この衣笠の縁にはすかしの飾り穴があけられており、
笠のトップは、剣菱形の花が咲いているような装飾で飾られる、
優美な造形がされている。




被葬者の魂を運ぶ船に太刀を立てたのは、
船に太刀の神聖を満たそうとしてだったと思う。

当時の人が、刀の威力を船に満たそうとした。
船に太刀を立て、その力が邪や魔を払うように。
ヒロメク太刀の威力(霊威)がふるわれて死者の船が安全に旅をすることを期待した。
・2008-10-28 地形を旅した ふつ 剣の音



太刀と反対方向の船の先側に立てられた衣笠については、
衣笠は首長や王など貴人のシンボルとなるもので、
被葬者の立場を語る。

また笠は神聖の印であることは、
広い時代にわたる笠の用例に見ることができる。
・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠


笠(衣笠)と太刀は同じく神聖の印で、
その神聖(猛々しいほどの霊威)によって死者と船の旅を安全に満たす。



太刀や衣笠そのほか、埴輪の船に柱状に立てられているくつかの土製の器材には、
立てるということにも意味があった。
それは後ほど、柱、杖、聖標についてで述べる。



これらひとつひとつが実に直接的なイノリの造形だ。

こういうのは古い時代の未開な、マジカル(呪術的)なもので、
一見、現代人には縁のないことのように思われがち。

しかし実際には、こうした行為は、
意識されていないけれども、現代にも続いている。
交通安全などのお守りや、縁起の良いことばや忌語の習慣や、
子供に良い名をつけるのもそのひとつなのだ。


似た意味を幾重にも重ねて祈りにし、威力の発動を願った
当時の人々の想いと、

時代を越えて共通する日本的思考の傾向が見える。



------
残っている物から歴史をつなげていく考古学に疑問を感じることがある。
たとえば、目に見えて残っている壮麗な寺社や大切に保管されてきた文化財が
時代の真実の姿かと言えばそうではないし。

今も残る歴史的建造物の寺院を見た人が日本は仏教国。仏教思想の国と勘違いするように。
しかしその多くは高級な一部の階級に珍重された一面であって、
むしろ物としては残っていない名もなく広くいきわたっていたものの中に核を感じる。
そのうちで私にとって身近なのは
土地や風土の体感や、歌やことばのひびきや、習俗の変遷の経緯といったところだ。
人々の生活は、高度な思想の下でなく、そうした体感の中にあったと思う。

物は多くを語る。大切に思う。
ただ目に見える物ばかりに注目しすぎて、完全に核を忘れてる実例を
あふれるばかりに見る。

つい目に見える物に夢中になるけれども、
かならず素朴な身体感に戻ろうと思う。
いつも戻ろうと思う。





・2011-09-25 中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠



類似したものを重ねて祝福を願う習俗
・2009-10-28 中世芸能の発生 233 ふくらすずめ
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)
・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)
・2010-02-13 中世芸能の発生 294 よごと 寿詞
・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能




太刀 剣 ヒレ ヒロメク ヒラメキ 
・2008-10-28 地形を旅した ふつ 剣の音

・2010-02-19 中世芸能の発生 286 ヒレ ヒラ ヒレ有る骨柄
・2010-02-20 中世芸能の発生 287 ヒロメク 蛇 剣
・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ





・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感




・2011-08-16 中世芸能の発生 408 『他界へ翔る船 「黄泉の国」の考古学』
・2011-08-16 中世芸能の発生 409 船の棺





弓矢の神聖
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2009-04-17 中世芸能の発生 112 弓と北面の武士




ひきつづき『他界へ翔る船』船形埴輪の考察から、
万葉集の丹塗りの船、
亡くなった方の額につける△の布と、お能や家紋の△三角の鱗模様のこと、
杖と聖標、同行二人、

それから鹿の民俗、
絵巻の中の聖たちや空也上人像にもみられる聖の好む鹿角の杖。



つづく









# by moriheiku | 2011-09-26 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 414 笠の民俗  傘 衣笠


つづき


衣笠(きぬがさ)は、首長や王など貴人のシンボルとなっていた、とのこと。

衣笠、笠(傘)は、単に高位のシンボルでなく、神聖の印だったと思う。


衣笠は電球の笠のような形をしているものが多い。
古墳時代の遺跡からも、雨傘に似た長い柄のついた形の
衣笠の埴輪が発掘されている。

仏教伝来後、仏像の上にかざされた瓔珞などの飾りを垂らした天蓋(てんがい)も、
衣笠とも呼ばれており、衣笠の一種と意識されていたようだ。


時代が下ると文学や絵画、史料に、
絹を張った衣笠(傘)が多く見られるから、
衣笠は絹傘からきていると言われることもある。

しかしこれは、絹(きぬ)よりも、絹でない衣(きぬ)が先だし、
衣を張った衣笠よりも、まず笠が先だったから、
衣笠が絹の傘からきているというのはあたらない。

むしろ、かつて
衣(きぬ)ということばに、絹(きぬ)の意味が重ねられていった
経緯が興味深い。

このことに、
絹(きぬ)に出会った昔の人々にとっての絹(きぬ)の意味が感じられ、

さらに古い時代の衣(きぬ)の印象がよみがえる。



古墳から出土する衣笠と聞いてぱーっと思い出される笠(傘)は、

たとえばもとは経典の内容をかみくだいて説明したものから、
次第に芸能化し浄瑠璃などの母体になった説経節は、
辻で大きな傘をさした下で語られた。

田楽の中心人物は大きな笠をかぶった。また傘がさしかけられた。
・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01

寺社へ物詣へ行く女性は、
頭に藺笠をかぶり、その縁からむしのたれ衣(きぬ)を垂らしたものを被った。
・2009-02-20 中世芸能の発生 76 聖と穢をまとった輝手 小栗判官

虚無僧(こむそう)のかぶる藺草(いぐさ)などで編んだ編み笠も、
仏の衣笠と同じく天蓋(てんがい)といった。


笠の文化民俗は古来からのものだが、
特に中世には、被り物をすることが意識された印象がある。
・2009-02-18 中世芸能の発生 74 公界
・2009-02-19 中世芸能の発生 75 居杭

多岐に分かれた笠の文化のはじめのほうのひとつには、
原始性の残る祭りに見える習俗がある。

祭りの間笠をかぶり、他界から訪れた精霊・神となって祭りを過ごし
祭りの終わりには他界へ帰る風習。
これに笠の持つ性質の一面が考えられる。

やがて笠(傘)は、ヨリシロと考えられるようになって、
笠の頂上に飾りや木偶(デク)が付けられたり、
笠自体に華麗な装飾が施されて花笠となっていったものがある。
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫

平安後期から中世にかけての田楽法師や風流における
デコラティブな、
華やかで巨大な頭に付ける笠には、
笠に対する神聖の意識の変遷が表れているから興味深い。
・2009-04-30 中世芸能の発生 121 田楽の起源と展開
・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01

古来、笠をふせたような姿の美しい円錐形の山は、
神聖な甘南備(かむなび)とされてきた。
各地の笠のつく地名は、古い時代に神聖とされた地と重なるものが多い。
・2008-10-18 中世芸能の発生 44 だんじり 山車



笠形に対する神聖の印象は、私にはまだわからないの。
笠をふせたような特徴的な、きれいな姿形の山には、はっとするけれども。

けれども上記にみられる笠(傘、衣笠)の用例から、
笠は単なる日よけや雨よけでなく、
また笠をさしかけられる人の単に高位という証でなく、

笠(傘)の下の人は、
政教一致の時代なら首長のような霊的な威力や性質を帯びた人であり、

笠の下は神聖。
つまりかつて笠は、俗とは異なる神聖の印だった。

渡来の仏教における天蓋が、衣笠とも言われていたことは、
仏教的意味とは別に、こうした古来の笠の神聖の印象が重ねられていたものと思う。
・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ

発掘品からも、笠(かさ)と幡(はた)は近い性質のものだ。



柱の神聖、杖の神聖、鹿の神聖(※杖の神聖、鹿の神聖ともに後述)他様々と同様、

笠も、

類似したものを幾重にも重ねていく日本的思考から、
時代を下る間に様々の意味をまとい、意味を広げた。

そしてやはり他と同様に、多くの意味をまとったため、
核となる笠の聖性の原義は、
重ねたベールのむこうになって見えづらくなった。




・2010-02-14  中世芸能の発生 281 青幡(あをはた) 旗 幡 ハタ


笠に木偶(でく)  春日若宮の祭礼の花笠につけた木偶(でく)
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫


田楽の傘 花笠 祭りの山車

“制タ迦は、二丈あまりの花竿を竪てながら、師匠のすぐ後に従うた。”
・2008-06-10 『身毒丸』 折口信夫 01
・2009-04-30 中世芸能の発生 121 田楽の起源と展開
・2008-10-18 中世芸能の発生 44 だんじり 山車


笠、頭巾、面、芸能者
・2009-02-18 中世芸能の発生 74 公界
・2009-02-19 中世芸能の発生 75 居杭


俗でない人である印  寺社へ物詣する女性の装束  市女笠にたれ衣(きぬ)
・2009-02-20 中世芸能の発生 76 聖と穢をまとった輝手 小栗判官
・2009-02-27 中世芸能の発生 78 物詣 道行き


意味の中心
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは



・2010-12-01 中世芸能の発生 399 九州新幹線全線開通 祝福
・2010-08-19 中世芸能の発生 341 倭文(しつ しづ しず 倭文織)




杖の民俗  意味を幾重にも重ねまとっていく変遷
・2011-10-03 中世芸能の発生 417 杖の民俗
・2011-10-07 中世芸能の発生 420 一本の棒

・2011-10-04 中世芸能の発生 418 意味の変遷
・2011-01-27 中世芸能の発生 379 根元
・2010-05-05 中世芸能の発生 304 仏塔 心柱 刹柱
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木




つづく







# by moriheiku | 2011-09-25 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
ひきうけること バランス


人に裁判関連の文書の作成を頼まれた。
手書きで書かれたたった一、二枚の文書の入力と出力。

はじめて見るこうした文書の独特の言い回しは、
まったく身近にないものでびっくり。
なれたかたには把握しやすいものなのでしょう。

打つこと自体はたいした手間じゃない。
寝る前や空いた時間に入力出力すればいいだけ。


こういうのってある程度決まった書式などあるのかしら。
こんな感じで、とのことだけれど。

私は事務系の文書を打つ機会はほとんどなくて、
文書に近いものも大抵そのままIllustratorですませてきた。

ただ頼まれた文書は裁判資料として保存されるようなので、
それ用に身近な方が今一度修正や編集などかけることがあるとしたら、
文書作成に広く使われているソフト、
例えばwordなどでデータを作ってお渡しした方がいいのでは?

うかがってもご本人がコンピュータを利用されないためはっきりわからない。
明朝までとのことでIllustratorで作成出力したものと、念のため、
望ましい書式などありましたら後で身近な方に編集をしていただいて下さいと、
wordのデータと、テキストデータをお渡しした。

急だったため、困って私に頼まれたのだと思う。

身近な人も、関わりあいになりたくないと避けられてしまう孤独を思った。


その方からファクシミリで送信されてきた手書き文書は、
裁判用の事務的な口調の文章。
けど述べられている内容は重い。

送信されてきた紙を折って、中身は見えなくして、机の端っこに置いても、
重みのような熱のような思いがその紙から立ちのぼっているみたいで、
それがそこにあること自体が苦しい。
どこかにやってしまいたい。


けれど、お困りなら、
ほんのわずかなことだけれども、
力になってさしあげたいという気持ちがある。

文書一枚二枚なんて
とっても小さなことだ。


たぶん、文書を打つことよりも、
たった一度でも、ほんのわずかでも、
ある時には力になってくれる人がいたということのほうが、
その方のお気持ちを一時軽くすることになったようだった。

電話のむこうから、頼まれた時とは空気のことなる晴ればれした声が聞こえた。
よかった。


私は、
こういうものがあったり、打ったりすることだけで影響を受けるので、
あーあ。なんとかしたい。

しかし何かを引き受けようということは、
そういうことも引き受けようということだと思う。

こうしたバランスをみんなはどうとっているんだろう。


このいやな紙を、よい紙に転換するには、
どうしたらいいかな。

よい経験に結び付ければ良い紙になるかも!


うまく気持ちを散らすこと。

それとも、そんなもの平気になること。





# by moriheiku | 2011-09-24 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
私の歩き方


わたし、これが何か知ってる。

これは基本がぜんぜんわかっていない苦しさ。


ではじめからぜんぜんわかってないから、

どれをやっても、これもわからない、あれもわからない。どれもわからない。



どれをやろうとしてもわからない。

どこがある程度できているかも、できていないかもわからない。


ほんとのほんとの基本からわからないまま。


ずーーーっとどのくらいわからないままきたかというと、

歩く時、

同じ側の手と足を一緒に出すのか、それとも、

右足を出す時は左手を出すように手足はたがい違いに出すものなのか、

そういうことも知らないまま、なにか競技をするというくらい、、


、、いいえ、歩くのは自然に歩けるし、このたとえはちがうかな。



とにかく、

ほんとのほんとの、基本からわからないまま、

いつもわからないままやってきて、どれもわかんないまま、


まぐれであたるかあたらないかだけ。

ランダムに塗ったマークシートのどれかの数字がたまたま一致するくらいのかんじ。


だからどれかをしようとしても、あ、これもできない、あ、これもできない、って、

どれもできない。



こういうことを聞ける人がいたらいいのに。

本や何かで調べてわかることだったらいいのに。



人によっては3秒で答えてもらえること。

たいていの人はあたりまえのようにはじめに知ること。

そういうの、わからないまま。どうして。



ごくごく基本を、できなくても、そういうふうにすると知ってたら。


わからないこと少しづつうめていってようやくすこし、

こういうのでいいのかなって思える。




かたちのさだまらない水をめちゃくちゃにふんでいるだけ。

なにひとつつみあがっていないのはかなしい。








# by moriheiku | 2011-09-23 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
リュック



「来たよね!私の季節が。
 あそこの後ろ側から山を越えてあそこに出るコース、歩く日も近いね!」

「どうかな」

「まだか・・」

「アハハ」


ほんとに行ってくれるのかな。

一応国道らしいけど、
舗装もされてない、車も通れない、地図のあの道。

地元の方がわずかに通るだけという。


どこにでもだいたい一人で行っちゃう私も、ちょっと不安なので、
ずーーーーーっと前に行く約束をしたものの。


「もう、ひとりで行くー!」

「やめといたほうがいいと思うな」

「○○ちゃんと一緒に行く!」

「あんなところ、行ってくれないと思うな」


がうー。


実はすっごく距離はみじかいよ。○キロしかないの。


リュック、リュック、リュック、行こう、行こう、行こう。


早くしないと私の季節が終わっちゃうーー。









# by moriheiku | 2011-09-22 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
ケーク・サレ

ケーク・サレはいよいよ盛りあがっているようで、
私の焼く回数も増えている。

お食事系の気軽なケーキ。
食べたいけど、一度に食べるのは一切れほどなので、
一台焼いて人とわける。

生地や具は自由。なんだけど、
わたなべまきさんの組み合わせはツボ。

切り分けていただく時のカラフルな断面がおいしそうー!おしゃれー。


私が好きなケーク・サレは、
肉魚系より、フルーツが少し入るタイプもの。

わたなべさんのレシピなら
例えばカマンベール×ナッツ×カルヴァドス。
ピスタチオのグリーンがきれい。
カマンベール、クルミ、リンゴ(カルヴァドス)はもともと好きな組み合わせ。
カルヴァドスの香りがすんごくいい。

他にも、
デーツ×ベーコン×バルサミコ。なるほどー。

マロンピカンテ。甘い栗と生ハムの塩気。ほんの少しの七味唐辛子でアクセント。

ルッコラ×生ハム。グリーンオリーブ入り。定番的なのに感動。これは昨日作ったばかり。

かぼちゃ×ハム×カレー。カラフルな二色の層。ローズマリーで大人味。

ゴルゴンゾーラ×アプリコット×キルシュ。
わたなべさんのケーク・サレのレシピではじめて作ったもの。
いかにも好きそう。私。

ガーデンフレッシュハーブ。これは女性は好きな人が多いと思う。


私はケーク・サレは一台焼いてカットして食べるので、
断面の楽しさには心おどる~。

また誰かと分けるということは、人様の好みに合わせて作るということ。
それが、普段自分用にあまり作らなそうなタイプも作ることになってまた楽しいの。


わたなべさんのレシピ中、
あの人が好きそう!この人が好きそう!と思って作ったものは、

例えば和風の、
バターコーン×焦がし味噌。おいしかったー。お子さんも好きそう。
子供っぽい味という意味でなく。
焼けたトップにかけるシンプルな合わせ味噌、料理を発想する。ありがたい。

こぼう×鶏×生姜。
チーズなど洋の具が入らないの、おもしろい。
こういう取り合わせもケーク・サレになるのね、って開眼。

長ねぎ×チャーシュー×黒七味。
年配の方に、軽食替わりに召し上がっていただけるかなと思って。


和風ケーク・サレといえば、別のかたのレシピで、
和のハーブ、大葉×ネギ、それからご飯を入れたケーク・サレ。

自分用だけならネギのものはうんと後回しになっていたと思うけれど、
みんなに好まれそうと思って焼いた。
とってもおいしいとよろこばれて、もう何度も作ってる。
私もとってもおいしいと思う。このかたの生地、好き。

そういえば十年くらい前、あるかたのご本で、
具が同じ組み合わせのクイックブレッドのレシピを見て作ったんだけど
(大葉×ねぎ×ごはんって定番なのね)、
そちらは、いまいち。
思い出してその本を出して、も一度作ってみたけどやっぱり。
そちらのシリーズはいまいち。悪くはないだろうが。どうもぼけている。
違いは生地。生地の違いなのだ。配合って面白い。

誰かに作ることで、結局自分が一番楽しんでるかも。



さてわたなべさんのケーク・サレレシピで、次に作ってみたいものの筆頭は、
じゃがいも×ビール×キャラウェイ。

じゃがいもとキャラウェイの組み合わせはわかるけれど。ビール!
ビールは私にはぜんぜん馴染みのない素材。

わたなべさんのケーク・サレは自由。
生地も基本となるひとつの生地を使い具を変化させるものでなく、
ひとつひとつ変化がある。
粉だけでもそば粉が入ったり、アーモンドプードル、コーンの粉を使ったりして。
小麦粉だけでもいいけど、取り合わせが魅力的。楽しめる。

そしてもしかして私がわたなべさんのレシピを好きなのは、
実は洋酒が用いられてるからかもしれない、とそう思うほど、
他の方のレシピとくらべて
様々なお酒がふんだんに用いられてるのも特徴的。お料理的。

白ワイン、ブランデー、キルシュ、コニャック、ラム酒、コアントロー・・・。
省いても充分おいしいとは思うけど、使うと味がうんと広がる。
私はアルコールにすごく弱い洋酒風味好き。
お菓子作りの風味付けにもよく使っているこれらは身近にあるし。

しかし、ビール。
ビールを口にしたのいつか記憶がないほど、使う(飲む)機会のないお酒。
じゃがいも×ビール×キャラウェイのレシピにはビール50mlってある。

ビール買わなくちゃ。ビール売り場って種類がいっぱいありそう。
身近にお酒を飲む人が一人もいないので、ビールのことはわかんない。
どうやってえらんだらいいの。なんでもいいのかな。
ビールってリキュールみたいに小さいサイズ、あるの。
残ったらどうしよう。お肉のビール煮は聞くけど。
まずビール売り場に行ってみましょう。

わたなべさんのレシピはお料理を楽しんでるという
生き生きした感じがいいな。


ケーク・サレはあと他のかたのレシピを参考に、
バナナ×タイム、バナナ×ゴルゴンゾーラ、バナナ×カルダモン、シナモンなどいくつか作った。
バナナもめったに食べないけど、
こういう取り合わせにすると食指が動く~。


個人的にはケーク・サレの生地はスポンジタイプより、
しっとりしているもののほうが好み。

ベーキングパウダーの発泡感のある食感が私はどうも苦手で。
水気のある具や重い具の時、ベーキングパウダーはとても便利なのだけど。

わたなべさんのレシピは、生地もとてもおいしい。
焼き立てのトップには少しだけパイの薄皮に似たぱりぱりした部分できて、
食感に変化があるのもいい。
ただ自分用のケーク・サレはもう少ししっとりしているほうが好みなので、
自分用にはそのあたりを好みに作っているところ。


わたなべさん、すごいなーーと思った。

カラフルで深みのある取り合わせ。

マロンピカンテ。甘い栗と生ハムの塩気に、
ほんの少しの七味唐辛子でアクセントを付けること。
チキン×シャンピニオン×コニャック。
カジュアルなケーク・サレも、コニャックでさらに深みのあるおいしい一品に。
エビ×グリーンピース×ミントの葉。
なるほどー!ミント。バジルやタイムでも。お料理っぽーい。

こういうのは決して私には思いつかない組み合わせ。

わたなべさんの培われたお料理の経験と個性。
プロフェッショナル!



お菓子もケークサレも自分ひとりで食べる量は限られるから、
もらってくれる人がいなければとても作っていられない。
もらっていただけるのがほんとありがたいなー。

私はいけないんだけど誰かの作ったものが食べられないということがあるので、
どうしてみんな私の作ったものをぱくばく食べているのか
(で「もっとどんどん作ってきてー」と)、
しみじみ信じられないくらい。
しかも私は私の作りたいものを作ってるだけ!だし。


作ったケーク・サレを人と食べながら、
こういうの、誰か作ってくれないかな!
好きな彼が作って出してくれたら感激!
とか冗談で言ってみたりするけど、

実際は私は食べるだけより作ることのほうに面白さや様々な発見があって、
(とはいえ私が作るお料理なのでシンプルなもの中心になっちゃうけど;)

これは、というレシピで料理やお菓子をつくると、
あっと胸を打たれたり、しみじみそうかと思われたり。
レシピで実際に作りながら違う世界を身体で体感できる。

良いレシピは、良い本や良い譜面とおんなじ。
いろんなかたのレシピで作って、
レシピからいろんな経験をしよう。








# by moriheiku | 2011-09-21 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
ことばの出てくるところ

ことばに関するところに(も)、なぜか私の逆鱗が一片あるみたい。

本を読むのは好き。
夏休みの読書感想文に困ったって時々聞くけど、
私は学年全員の読書感想文を書きたいくらい。
毎日本を読んで感動や感想をつづっていられたらどんなに楽しいだろう~。

ただしこのとおり、文章力はない。
ほんとにただ、本の中のことばによって自分のどこかが動くのを、
ことばに書きたくなっちゃう、というだけのもの。
本の中の色や音を、ことば、字にかえる。

本から、色から、音から、自然やどこかから感じた心の動きをことばにしたくなる時、
もしも、人に通じるようにとか、うまく文章を綴ろうという心があったら、
私にも人に通じることばを持てたかな。

けど感じたことをことばにするのと、
人に通じさせることとは別のことなので、
その二つは結びつかないままきた。

たとえ夏休みに誰かの読書感想文を書かせてと申し出て、
書いたものを渡したとしても、
書かせてくれた人はそれを見て「こりゃあかん~」と、
夏休みの最終日くらいに自力で書くことになってたでしょう。ハハ。


それなのに、歌手の歌う歌の中に、ある文の中に、あるセリフ中に、
なにか胸のふるえることばのひびきに接した時、

私もそういう一片のことばが、指先から、唇から出たらと望む。

たったひとこと指先や唇を出たら、私は満足だろうと思う。





・2010-07-02 ソングライター



・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2010-04-01 中世芸能の発生 298 言語の幹や根 芸術言語論
・2009-08-16 中世芸能の発生 187 和琴
・2009-03-01 草の息



私の逆鱗 私はこういうところに突然怒るみたい。
我ながら、怒ることじゃないじゃないって・・・
・2009-09-08 言語美
・2011-09-06 中世芸能の発生 413 ことばと植物



・2007-09-19 ヨリシロ






# by moriheiku | 2011-09-10 08:00 | 言葉と本のまわり | Trackback | Comments(0)
ゲーム


ぱお(実家)に二人でお泊まりに来ていた甥のしずく(園児)とりょがこ(小学生)兄弟が、
彼らの祖父である父のDSで遊んでいた。

りょがこが弟のしずくからDSをとりあげてばかり。
父と30分と約束したそうだがやめずに、自分ばかりしてる。


ようやくしずくにDSをわたしても、
横にはりついてしずくにああしろこうしろと絶えまなく口を出し取り上げる。

私は
「今はしずくがしてるんだから、しずくの好きなようにさせてあげなさい。」
とりょがこに言うと、

りょがこは、
「しずくのようにしてるとゲームが終わっちゃうから、
 失敗しないように教えてあげてる。」
と言う。


私はりょがこに
「今はしずくがしているんだから、しずくに失敗させなさい。
 失敗したらしずくはうまくいく方法がわかるから。
 しずくがすんでから教えてあげればいい」
と言い、
「りょがこがしているのはね、
 しずくにゲームさせてるんじゃなくて、自分がゲームしてるのと同じ。
 りょがこはコントローラー(DS)を手に持ってないだけで、
 自分がゲームしてるのと同じ。
 しずくにゲームをさせてあげなさい。」

と言って、
はげしく落ち込んだ。

あたし、オニ・・・。

ゲームごときで小さい子にここまでキツイこと言うか。

それに、失敗させなさい、って。 ひどい。


他にも、
自分でさせてあげるのが親切、
とか言ったし、
30分と約束したのに数時間に及んでいることを父母(彼らの祖父母)から聞いて、

それは誰のDSなのか、

もしもりょがこが、
誰かが30分と約束して貸してもらったDSを
やめて返してと言われてもやめずにずっとしているのを見たら、
りょがこならどう思うか、

とかも言った。


えぐるようなことを言う。私。

もう、ものすごく自己嫌悪。


実際のところりょがこしずく兄弟は気にしちゃいないし、
二人でケンカしながらもやってるのに。


失敗させなさい、って。


私が誰かの親だったらひどい親だろう。


おばは反省してばっかり。
甥にも育てられてます。






# by moriheiku | 2011-09-09 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
交響詩


低いところから高いところへ、

あたたかくにぶい暗い色から澄んだ色合いへ。



長い一息の内に、ゆっくりと変化させていく声のカラー。


声のグラデーションに、心がついていく。







この音を。

ことばにできないだろうか。










# by moriheiku | 2011-09-08 08:00 | 音と笛のまわり | Trackback | Comments(0)
タフタ



ソリストは、タフタの衣装。


光量を抑えた舞台の上で膝を折ってお辞儀をする。

膨らんだタフタの光沢が、

中世の光のようだ。







# by moriheiku | 2011-09-07 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 413 ことばと植物


つづき


三月の大きな津波が東北地方の陸に到達したラインに沿うように多くの神社があったことや、

地名の中に、津波など過去の災害に関わる意味が含まれているものがあることが
(例:埋め→うめ)、

テレビ番組で取り上げられていた。


番組のキャスターの方が、
今回大地震にみまわれて
我々は自然に対する畏(おそ)れや敬意を忘れていたことに気付いた、
というようなことをおっしゃった。

そして、
津波の到達点に沿って点在する神社や、災害に関連した意味を含む地名を、
昔の人が後世の人々に伝えるために建てた名付けたと言い、

つまりそれらは、昔の人が後世の人へ伝えようとした
昔のジャーナリズムだと言う。


どの口でそう言うのか、と思った。

さっき、人間を中心にして、自然というものを忘れていた、
ということを言ったその口で。

どこまで人中心か、と思った。



どうして私はそう感じたのか考えてみると、
私は、

聖域や古い地名は、
昔の人がその場所に感じた感慨・実感の跡で、

それらは人の行動やことばを通して顕れた土地や自然の性質の表出だと
思っているからだ。



昔の人々が津波が分かれた場所に人知に測れない自然の力を感じたことや、
昔の人がその土地をふさわしい音で呼んだことは、
言ってみれば感慨に近いものだったと思う。

文字より古いことばの音は実感の音。
その自然の性質の音だと思う。


そこから後世の人々が情報を汲み取り、防災に活用することに、
もちろん反対などしない。

けれど、人の体感・感慨を通って表出した、
人に測りしれない自然のありよう、力や性質(この場合神社や地名)を、

昔の人が後世の人に危険を伝えようとしたジャーナリズムだと言って、
人中心に、ご都合よく狭くとらえる意味がわからない。



ことばは人に属すんじゃない。

人の声を通って顕在化するもの。

大地を通って顕在化した植物と同じ。


何かを通して顕れた自然や性質のあらわれという点で、
ことばと植物は同じ。


でなければ、古代にことばをタマなんて言わない。

タマの意のもとになっているのは、
自然の命の旺盛な状態、イノチの力の横溢する状態だったのであって、

例えばコトダマ(言霊)というのは、
人のことばを通して顕在化する、
たけだけしいほどのイノチの力の横溢だった。


それはことばと植物に限らない、
あらゆるものにおいてそう感じられていたことが、
後に、森羅万象に命がある、あるいは
日本仏教では、森羅万象に仏性がある、という思想になっていったと思う。




危険が伝承として語り継がれることはある。

けれども、
はかりしれない自然のありようのあらわれの、
古来神聖とされた場所や古い地名の音を、
人の意図的なジャーナリズムだと言うことは、
植物をジャーナリズムと言うのことと同じ違和感を感じる。


それは自然のありようを人の範疇とするような都合のよい解釈と傲慢に
聞こえたんだ。私には。


自然や、生命や、歴史やさまざまの情報を含んでいる植物や古いことばの音から、
人が物事を取り出し学ぶことはあっても、
それらは人に属すのではないと、私は感じてきたんだとあらためて思った。






古代における神聖とは
・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは
・2010-02-11 中世芸能の発生 274 イノチ ユリの花
・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木



祝福
・2011-03-02 中世芸能の発生 384 ことばと自然 祝言



地名と性質
・2011-03-01 中世芸能の発生 383 たるみ 垂水 伏流水
・2011-04-06 見える水 見えない水



ことばと植物 土地 自然
・2007-06-28 言語のレッドゾーン
・2010-08-31 生物多様性 言語の多様性
・2010-05-17 中世芸能の発生 312 ことばの神聖視
・2010-08-18 中世芸能の発生 340 母語
・2010-03-04 中世芸能の発生 291 サチ 弓矢 狩人 開山伝承
・2010-03-05 中世芸能の発生 292 海幸山幸(ウミサチヤマサチ) ことばの音
・2011-09-05 中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)





タマの概念 タマに先行するもの
・2010-08-15 中世芸能の発生 337 綾 玉葛 水流
・2010-06-25 中世芸能の発生 332 魂の概念の変化と移行 翡翠(ひすい)
・2010-07-06 中世芸能の発生 334 タマシヒ 魂 天分 才能 生命力 霊力
・2010-07-05 中世芸能の発生 333 二種類のタマ
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感





森羅万象に命を見る思想とその展開。
本来の命を生かすため人為的な余計な装飾を最小限にしようとする思想。
・2008-07-10 神仏習合思想と天台本覚論 01

・2008-12-16 本来空
・2007-09-19 ヨリシロ
・2009-08-17 中世芸能の発生 188 作仏聖 円空 棟方志功
・2010-04-07 中世芸能の発生 302 一刀彫





・2009-03-01 草の息




つづく






# by moriheiku | 2011-09-06 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
中世芸能の発生 412 キ(木) 毛(ケ) キ・ケ(気)


つづき


昔の人は、キ(木)は、自然のキ・ケ(気)の表れだと思っていた。

神話に、木は神の毛(ケ)と書かれた。
神の概念ができてからの神話には、そういう表現で書かれた。

それは昔の人がキ(木)を、
大地や自然のキ・ケ(気)の表れと感じていたということ。

大地や自然の生命力(=古代の人にとっての霊力)が盛んなら、
土地の草木は青々と旺盛に生い茂る。


人の毛も同様で、
例えば毛がふさふさなのは、
その人の命が盛んで気が満ちている状態と考えた。

病を得たり年をとったりして、生命力が弱まると、
髪が細くなったり抜けたりする。


つまり土地や自然にある力や性質キ・ケが、
土や人を通って顕在化したものが木(キ)・毛(ケ)。




古い詞章や歌に、土地の自然が盛んなことが詠まれてきた。

土地の草木が生い茂り、瑞々しい山河に生物が満ち溢れる状態が、

国土(土地、自然)が生命力に溢れた神聖な状態なのであり、
その状態は結果としてケガレ(穢 ケカレ 気枯れ 気涸れ)も祓うことになる。
と考えられた。


それで昔の人々は、
自然の盛んなことに寄せて、
人の命も盛んであるように、営々と祈ってきた。

繰り返しつづいてきた繰り返しつづいていく自然に寄せて、
命をことほぐ(言祝ぐ 寿ぐ)予祝・祝福の伝統。

日本の古来の芸能の歴史だ。





・2010-03-16 中世芸能の発生 297 土地の木

・2010-02-04 中世芸能の発生 268 古代における聖性とは

・2011-03-27 祝福

・2010-10-12 中世芸能の発生 358 扇の民俗 ケヤキ

・2010-02-14 中世芸能の発生 295 奄美のユミグトゥ(ヨミゴト)


・2009-12-17 中世芸能の発生 267 一つ松 声の清きは
・2011-02-16 中世芸能の発生 380 輪廻 遷宮 遷都


日本書紀 スサノオノミコトの毛 木
・2010-10-03 中世芸能の発生 357 檜扇(ひおうぎ)の民俗


・2010-09-02 中世芸能の発生 353 ことほぎ 自然

・2009-09-23 中世芸能の発生 203 狩猟 採取
・2010-03-03 中世芸能の発生 290 獲物(サチ) 幸(サチ) 猟夫(サツヲ)

・2010-02-15 中世芸能の発生 296 ヨム 和歌を詠む(よむ) 芸能

・2011-02-16 君が代 02


・2010-02-03 命の全体性



・2011-06-19 中世芸能の発生 400 遊び 神楽

・ 2011-08-07 中世芸能の発生 404 祭り 御霊会 たまふり 鎮魂



・2011-04-19 中世芸能の発生 387 桐の花 自然という底流
・2010-12-01 中世芸能の発生 399 九州新幹線全線開通 祝福



キ 古い一音節。 タマの概念よりも前。 ヒ チ 二 一音節  類感の世界。
・2010-02-21 中世芸能の発生 288 自然 身体 実感
・2010-07-07 中世芸能の発生 335 固有名詞にならないもの



つづく






# by moriheiku | 2011-09-05 08:00 | 歴史と旅 | Trackback | Comments(0)
百年の眠り


近頃、シュガークラフトにも手を出したこともあって、
お菓子作りの細かい部分に竹串をよく使う。

寝る前にキッチンであれこれ練習をした後で、
口金など細かい道具をまとめてボールに入れて洗っている時、
あっ、と指をついたのは、
ボールの中の竹串の先だった。

あ、って、痛いというより驚いた。


・・このシチュエーション、どこかでみたような気がする。

ハッ、眠れる森の美女。
(ディズニー 民話 眠り姫 茨姫 Sleeping Beauty)


すまん。

思わず謝った。

世界中の、オーロラ姫を好きな人に。
これまで眠り姫を好きだった人たちに。

この状況、えらい違いなのに。思い出してごめんね。




糸車のハリの先で指を突いて、
百年もそのまま、眠ったままなんて。


もし今私がこのまま眠ったら(くらべてごめんね、、眠り姫)、
寝たまま、きっとろくでもない環境を流転し、
目覚める時が来たとしても目覚められないぼろぼろさでしょう。


眠った時のまま、静かな環境のまま、
森の奥でイバラに護られ百年が過ぎる魔法(ディズニー版)。
ファンタジー。







# by moriheiku | 2011-09-04 08:00 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
デコレーション

シュガークラフトの練習をしてきて、
少し飽きてきた。


シュガークラフトは材料がシンプルで、
練習したら自在に造形できるところが楽しい。

夜中ひとりで練習できるし、
夏でもチョコレートのようには溶けないし。


ただお菓子のデコレーションとしては、私自身は、
それぞれのお菓子に合わせた、
お菓子の味を作るのに一役担っているものが好きなので、

お菓子に風味を加える点でのシュガークラフトの変化のとぼしさが、
私の飽きにつながってると思う。
それが少し残念。


シュガークラフトって技能が要るし、
シュガークラフトをクリエイトされてる方々の創造性ってやっぱりすごい。

お菓子の一部である見た目のもたらすよろこびに効果的なシュガークラフトを、
なんとか風味を加えることにも結び付けられないかしら。

デコレーションにとどまらず、
生地やクリームのように、
総合的に一つのお菓子の味や香りや姿を作りあげることに参加させられないかしら~。



ともあれシュガークラフトの練習は、
間接的にもずいぶん私のお菓子作りに役に立っている。

フランス菓子の基本である飴の扱いよりやる気になるし、
自由で楽しいから。

まだ練習をつづけるけど、
これを、こう、エレガントな、総合的な製菓の方向へ、
つなげられたらいいな~。

だって私はどこかの国やどなたかのお菓子を忠実に伝える必要はなくって、
自由に作っていいのだから。








# by moriheiku | 2011-09-03 08:01 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
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